からっぽ図鑑

集めても集めてもなんのためにもならない戯れ言

モカの看取り

2022年9月11日(日)16時50分頃

モカを看取った。16歳3ヶ月だった。

8月に入り、食欲が徐々に落ちてきてから1ヶ月ちょっと。

何が原因か分からないところから、もしかしてモカが死んじゃうんじゃないかと不安になり、モカにとって最善な日々を送れるように考えたけれど、結局間違った判断をしてしまったのではないかと後悔が滲み出てくる今の心情を書いておこうと思う。

 

2019年2月26日

モカの兄貴分であり相棒のモモタが突然息を引き取った。

朝、いつもの様に母にご飯を強請り、たっぷり食べた後にわたしのベッドの上で寝ていた。

わたしはそんなモモタの姿を見て、朝食を食べに1階へ降りて10時頃に部屋に戻ると、動かなくなったモモタを見つけた。

体はまだ暖かくふにゃふにゃで、脱力はしているがまだ生きているかのような柔らかな体だった。

突然の別れで、わたしと両親も「どうして?なんで?」と戸惑ったが、へその緒がついて我が家に来たモカにとって、ずっと一緒に暮らしてきたモモタはかけがえの無い存在で、モモタが急に居なくなったからか、その日からモカの夜泣きが始まった。

 

突然モモタが逝ってしまい、人が側にいる時は大丈夫だったが

1匹になったり、夜になるとモカは寂しそうによく鳴いた。

モカ〜!」と名前を呼ぶと鳴くことをやめ、そばに来て甘えた。

そんな日々が続き、モモタが居なくなって数ヶ月後からモカの目ヤニがよく出るようになった。

動物病院に行き目薬をもらい10日も点眼するときれいに治った。

しかし、何度か目ヤニは振り返した。

最初に飼った猫モモコは、エイズキャリアということもあって

目ヤニがよく出ていたので不安になり、最近血液検査をしていなかったので血液検査をしてもらった。

結果は、エイズ白血病は陰性。腎臓の数値が落ちてるのでその影響で抵抗力が落ちているのではないかという診断だった。

その際、獣医さんにモカの歯石が気になるということを伝えたのだが、当時15歳のモカ全身麻酔のリスクと歯石があっても歯周病はそこまで進んでないということで見送ることとなった。

 

その後は、1日2回2種類の薬の投薬と毎月の血液検査があり、結果が良好だったので血液検査は3ヶ月に1回となった。

その間に、病院は同じなのだが若い獣医さんから院長に担当を変えた。(若い獣医さんはいつの間にか辞めていた)

 

我が家は、ドライフードは無くなったら少しずつ足していつでも食べられるようにしていた。

モカはドライフードはどれもよく食べてくれたが、ちゅーる系やウェットフードはあまり好まない、食い意地ははってなく、猫のおやつをその辺に置いていても決して破って食べることをしないけれど、スキンルーズたっぷり6.4kgの立派な猫だった。

 

腎臓が気になり始めて、ドライフードも医療食に変えていた。

ロイヤルカナンの腎臓サポート3種とヒルズの腎臓ケア1種類の合わせて4種類を、500gの小さいパケージで買い、飽きないようにローテーションで出していた。2つともよく食べていたメーカーなので、スムーズに医療食に切り替えることができて安心した。

 

毎月500gを1.5〜2kg分買っていたのに、8月を過ぎてドライフードの減りが少ないことに気がついた。

フードは無くなったら母かわたしで足していたので、母に最後いつあげた?と聞いたら「朝起きていつもは全部無くなってるけど、最近は残ってる」というので、お盆中ということもあり病院に行かず、どのくらい食べているのか様子を見ることにした。

とりあえず味に飽きたのかもしれないと、ドライフードを変えてみたが食べた量はいつもより少なかった。

投薬に混ぜていた、ドライささみはよく食べていたのでこの頃はまだ安心していた。

 

お盆が明け、大好物のドライささみも残すようになったので

8月20日に動物病院に行った。

その際、問診に「少し食べて噛むと餌から離れるので、歯が痛いのかもしれない」と書いた。

先生と一緒にモカの歯を見たら、歯石がたまり歯肉から血が出ていた。先生は「これは痛いと思う。食べられないのはこれが原因の1つであるのは間違い無いだろうね」と言われた。

わたしは「11月に若い獣医さんに歯石のこと相談したら、歳だから全身麻酔のリスクがあると言われたので」と伝えたら

全身麻酔のリスクはあるけれど、このままの歯だと猫ちゃんも辛いし、麻酔の仕方やその後のケアは僕たちプロだから、色々方法はある」と心強い言葉をもらったので、4日後の8月24日に抜歯手術の予約をした。

 

抜歯手術までの4日間でモカの食欲はますます無くなった。

ドライフードは全く食べなくなり、ドライささみも顔を背けるようになったので薬を飲ませるのに苦労した。

白い錠剤のラプロスは半錠だったのでなんとか飲ますことができたのだが、チョコベビーくらいの大きさのネフガードは1回に2粒飲まさないといけないので苦労した。

大きいので口から吐き出してモカの口が真っ黒になるので、数日ネフガードを投薬することができなかった。

 

抜歯手術当日、11時にモカを病院に連れて行き血液検査をして問題なければそのまま手術。問題あれば14時までに連絡しますと言われた。

病院から家までは車で15分くらいなのだが、何だか嫌な予感があったので

14時くらいまで母と病院の周辺でご飯食べたり、買い物をしていた。

悪い予感は当たり、病院から腎臓の数値が悪いと電話があった。

「5分で病院に行きます」と伝えてすぐに向かった。

 

血液検査の結果の数字は、今までに見たことがない数値でとても悪かった。

数日ネフガードもちゃんと飲ませてなかったのが原因なのかと自分を責めた。

先生が「もう一つの機械で血液検査をしてるのでそっちの数値も見て決めよう」と言った。そちらの数値もあまりよくはなかったが、最初の検査よりも少しはマシだった。

このまま抜歯しなくても今みたいに食べれないと、結局は衰弱してしまうので抜歯後に最低3日間静脈点滴に通うことを条件に抜歯手術をお願いした。

 

夕方、無事モカが目覚めたと電話が入り安堵で力が抜けた。

すぐに病院にモカを迎えに行った。いつも大人しいモカが唸ってるのを初めて見た。

家に帰ると麻酔が残っているのか少し足がふらつきながら、モカは外に出て行った。

 

我が家は、鹿がうろつくくらいの田舎なので

モモタもモカも猫ドアから自由に出てトイレに行っていた。

一応、家に猫トイレを置いていたが最後まで使われることはなかった。

近くの草むらでオシッコをし、家の裏でうんこをよく拾った。

 

抜歯後に外に出ていったモカはなかなか帰ってこないので心配になり、

見つけては連れて帰り、また出るを繰り返した。

22時すぎに出た時は、なかなか見つからず深夜3時に隣の家の車の下で寝ているのを発見して連れて帰った。

 

次の日、9時から静脈点滴へ病院に向かった。

静脈点滴は6時間かかるので、15時半に迎えに行った。

静脈点滴2日後になんだかモカのお腹が膨れているように感じたので

モカを預ける時に「お腹が腫れている気がするけど、食欲が落ちて、痩せたから下半身が細くなったからそう見えるのかもしれない」と看護師さんに伝えた。

特に先生からの返事はなかった。

点滴は3日間の予定だったが、日曜挟んで月曜日も行われ計4日間通った。

月曜の朝にモカを預ける時に先生がいたので「食欲は特に戻ってなく、お腹がどんどん大きくなってる気がする」ことを伝えた。

先生は「その辺も注意してみておきます」と言われたが、点滴終了後特にそのことは触れられず「耳に食欲増進の薬を塗ってるので、びっくりするくらい食べるかもしれないけど安心してね」と言われた。

 

点滴通いが終わり、食欲は戻らないまま8月が終わった。

まだ口の中が痛いからか、ウェットフードも多い時で1袋半しか食べなかった。

モカの様子も日に日に元気がなくなり、陽気な表情は消えゴロゴロ喉を鳴らすことも無くなった。

 

9月1日

食欲が戻らないことと、お腹の様子が気になり病院に向かった。

先生はお腹を触って「これはあまり良くないね。腹水だね」と言った。

なんで、抜歯して腹水が溜まるの?何が起こってるのか理解できなかった。

先生は、腹水を病理検査に出してみないと結果は分からないが、抜歯手術のストレスでFIP猫伝染性腹膜炎)を発症した可能性があると言われた。

 

FIPは子猫の発症が多く、進行の早いほぼ100%死亡する病気ということは知っていた。最近は認証されてないが効果のある高額な薬があるということも。

先生に「FIPって子猫しかかからないんじゃないんですか?」と聞くと「どんな猫でもなるよ」と言われた。

FIPの薬は体重によって投薬の量が変わるので、子猫でも100〜150万円くらいかかり、5kgあるモカは150〜200万円くらいかかると想像できた。

わたしは先生に「モカは腎臓もあまり良くないし、高額な治療をしてもどのくらい生きられるかも分からないので、モカにとって苦しくない治療をしてください」とお願いした。

1秒でも一緒に居たい気持ちだが、モカにとって苦しい1秒なら要らないと思った。

 

検査の結果は数日かかるので、帰宅してFIPについて調べた。

FIPの協力動物病院が、東広島にあること、そこに九州や四国から行って完治してる猫がいることや、クラウドファンティングで治療代を募ってる方が多いことを知った。

 

東広島なら通えない距離ではないし200万円くらいなら、用意できない金額でも無い。また元気な姿見れるなら行った方がいいのでは無いかととても悩んだ。

あと、FIPの発症原因がストレスが一因というのを見て、抜歯手術をしてしまったことが原因であると考えたときに、張り裂けそうなくらいに後悔した。とにかくモカにしがみついて泣いて謝った。

 

この頃、もしかしてモカを看取らないといけない日が近いかもと「まんがで読む はじめての猫のターミナルケア・看取り」という本を買った。

その時の状況では、辛くて途中までしか読むことはできなかった。

 

4日後の9月5日に病院から電話があった。

FIPの結果は「陰性」。あまりにびっくりして2度聞き直した。

とりあえず、少しホッとしたが腹水が溜まってる以上、良い状態では無いので検査をしに病院へ向かった。

この時のモカのお腹は、猫ドアも通れないくらいに膨れ上がっていたので

腹水を600ml抜いてもらった。ビールみたいな腹水だった。

レントゲン、血液検査、猫エイズ白血病検査、エコー検査をしてもらい、脾臓と腸壁、腸に腫瘍があることが分かった。

腹水が溜まってる事と、数ヵ所にあるということは進行はかなり進んでいる状態だと説明された。

腹水を検査に出して、結果が出たら電話すると言われてその日は帰った。

 

9月に入って、モカをひとりで外に出すことをやめていた。

しかし、相変わらず猫トイレでは用を足してくれないし、ずっと外に出ようと猫ドアと玄関から離れないので、1日3.4回一緒に散歩に出かけていた。

朝は4時半から近くの草むらへ行き、モカのおしっこを見守った。

その草むらの中でも2.3ヵ所おしっこポイントがあることを知って何だか嬉しかった。

初めは草むらをぐんぐん中に入るので、草で皮膚を切ったり蚊に噛まれたが

延長コードを買ったり蚊対策をしたりした。

 

9月7日

食欲はほぼなくなり水分も摂らなくなってきたので病院に皮下点滴を行った。

耳に塗る、食欲増進の薬を毎日塗布してみようとなり、1本薬をいただいた。

あと、毎月10日にフィラリア、ノミの薬をしていたので先生に尋ねると、外にまだ出てるならやっておいた方が良いと言われて処方してもらった。

それを聞いて「あぁモカはまだ生きられるのかな」と希望が持てた。

 

9月8日

モカは16年前に姪が拾った猫だ。

姪にモカの状態が良くないことをもっと早くに伝えたかったのだが、

姪がコロナに罹患してしまい、8日にやっと家から出れる日だったので

お昼に、モカの状態を伝えると姪はすぐに来てモカを見舞ってくれた。

 

9月10日

朝のお散歩でおしっこをしなかったので後からまた行こうと思っていたら、雨が降ったので行けなかった。

動くこともしんどそうな状態のモカは、わたしのベッドでおしっこをした。

散歩に連れていけなくて申し訳なかった。ホットタオルでモカを温めて拭いた。

16年間1度も粗相をしたことのないモカだったので、本人も辛かったかもしれない。

でも、モカのおしっこはにおいも有り、色も正常な黄色だったので、腎臓がきちんと機能してる証拠だと確認できたので、わたしは嬉しかった。

ご飯も水分も摂らないので病院に行き、皮下点滴をしてもらった。

少しでも体力が戻るように、強制給餌をした方がいいとロイヤルカナンのクリティカルリキッドとヒルズのa/d缶をいただいた。少しずつでも何回かに分けて食べさせてねと。

先生に「モカはどこかが痛いんでしょうか」と尋ねたら

「痛みはないと思うよ。ただしんどくて怠い。強烈に怠いそんな状態」と答えてくれた。「何かのきっかけで食べるようになることもあるから、頑張って食べさせて」と言われたので、わたしも頑張ろうと決めた。

 

家に帰ると、姪がモカの様子を見に来てくれた。

夜、モカにa/d缶を強制給餌した。食べたくないと嫌がるのに無理矢理口に入れなければいけないのはとても辛かった。

父がそれを見て「嫌がっとる」とボソッと呟いた。

わたしは「嫌がっとるんは分かっとる!」と言った瞬間泣き出してしまいそうだったが、姪が「なんでそんなこと言うん?おかしいんじゃないん!」と言ってくれたので耐えることができた。

夜寝ようとしたら、またベッドの上でおしっこをした。タオルを上にかぶせモカをホットタオルで拭いてそのまま一緒に寝た。

 

9月11日

モカはぐったりとして玄関ドアの前にずっと寝ていた。

朝の散歩も動かなかったので、玄関を開けて見張りをしてもらって

わたしはどこにでもおしっこしていいぞ!とベッドに敷くペットシートと

モカが食べるかもとご飯と口に入れやすそうなシリンジを買いに行った。

前日に先生からもらったクリティカルリキッドは

1mg1kalの高カロリーなのに口に入れやすくてすごい商品だなと思った。

液体なので胃腸に負担もないだろうと思い、Amazonで3本注文した。

強制給餌を頑張ろうと決心したので、2時間おきにクリティカルリキッドを20mlずつ飲ませようと思った。

しかし、実際にはモカは拒否してうまく飲ませられなかった。

7時に15ml、9時に10ml、13時に5ml、15時に5ml(a/d缶)

 

15時の時点でモカに「今日はもうやめるね。ごめんね」と言って

体と口を拭いて休ませた。

 

この日のモカは朝からずっと玄関に這いつくばっていた。

タイルの冷たさが気持ちいいのだろうか。

猫の死の間際は冷たい場所を好むということを知っていたので

わたしはモカを自分の部屋に連れて行った。

途中よろよろと出ていき、隣の和室で這いつくばって居た。

体に触るといつもより冷たくなっている気がした。

30分くらいすると、ふらふらの足取りでわたしの部屋へ戻った。

猫ドアを潜るのも辛そうで、部屋に入ると床にお腹をつけた。

しばらくすると立ち上がり、ベッドの上へ飛ぼうとするが体が動かないようで、

ベッドの縁に手を置きじっとしていたので、ベッドの上にモカをそっと乗せた。

いつも寝ていた場所に居たかと思ったら、よろよろと足元の方に行き

力が抜けたように屈んだ瞬間、おしっこのにおいがしてモカの体が震え始めた。

 

モカは大きな音が嫌いなので、モカが居る時はドライヤーをかけなかった。

9月に入ってからは、モカが部屋にいる時はなるべく灯りを暗くしてテレビもつけなかった。音に敏感な子だから静かに見送りたかったので、下の階にいる母に電話をかけ小さな声で「モカが死にそう」とだけ伝えた。

泣きながら上がって来た母と一緒にモカを看取った。

すごく長いように感じたが、5〜10分もなかったと思う。

モカは少し漏れるような唸り声は出したが、静かに息を引き取った。

 

モカをホットタオルで温める用に部屋には5枚くらい

銭湯の薄いタオルを用意していた。

母にタオルをお湯で濡らして来てと頼んだら、父がタオルを濡らして持って来てくれた。

わたしはモカの体をきれいに拭いて、目を閉じさせてギュッと抱いた。

朝から何度か強制給餌したリキッドとa/d缶が黒くなって口から出てきた。

最後に辛いのに食べさせなければ良かったと後悔した。

父に段ボールを用意してもらって、硬直が始まる前にきれいに寝ているような姿にした。30分もすると猫特有のふにゃふにゃさは無くなっていった。

 

モカは元気で若い時は6.4kgあり、6月に病院で測った時5.7kgあった。

食欲が落ちて8月20日には5.45kg。24日には5.7kgになっていたがそれは腹水も影響していた。

腹水を1回抜いて亡くなる前日は5kgになっていた。

腹水と前日に入れた皮下点滴のせいか、モカの姿はふっくらして見えた。

本当に寝ているような姿だった。

 

モモタを火葬した時にとても丁寧に執り行ってくれた

移動火葬車の葬儀屋に連絡をし、その日はクーラーをガンガンにかけモカと同じ部屋で眠った。

ただただ色んな後悔とごめんねとありがとうだけで涙が溢れてきた。

 

モモタを送る時には突然で花を用意してなくて、葬儀の方からいただいた5輪くらいの花で寂しく送ったので、モカにはたくさんの花で囲んで送りたかった。

次の日、花屋に行くと「どんな用途の花束ですか?」と聞かれたので

「ペットが亡くなったので一緒に送るための花です」と口にした途端に

涙が溢れてきた。自分でもヤバい奴なんじゃないかと思って堪えようと頑張ったが

堪える事ができず「ごめんなさい。ごめんなさい。感情が抑えれなくて」と謝りながら花を選んだ。あの花屋にはもう行けない。

 

17時過ぎに葬儀の方が来てくれて、火葬用のカゴを受け取り

モカを白い布をひいたカゴに移してたくさんの花と大好きだったドライささみと

モモタとの写真を入れてお見送りをした。

移動火葬車の葬儀の方は、3年半前のモモタの時に母が何気に話した

「こっちの猫は孫が臍の緒をつけたまま拾ってきた子でね」というのを

覚えてくれてて「臍の緒がついてこの家に来て今までずっと可愛がってもらって幸せな猫ちゃんですね」と言ってくれて嬉しかった。

 

モカを火葬車に連れて行き「この姿での最後のお別れです」と言われ

父とモカにお別れをした。母は辛いのか家から出てこなかった。

ドアが閉まった時に、母が「片付け物してたらみんな居ないから!」と慌てて出てきた。葬儀の方は「お母さまも最後のお別れをしてください」ともう一度モカを出してくれたので、今度は3人でモカにお別れができた。

 

1時間15分後に、モカはお骨になって出てきた。

丁寧に骨の説明をしてくれて、尻尾の骨の数も教えてくれた。

モカはキレイで真っ直ぐな尻尾だったので、20個のキレイな骨が並んだ。

父と母とわたしの3人で、モカの骨を骨壷に入れた。

父がチャッチャか入れようとするので「もっと丁寧に入れて。最後なのに急がないで」と言うと、葬儀の方が「どこのご家庭でも男性の方はそんな感じです」と笑ってくれた。

 

モカの骨はとても立派らしく「とても健康で大きくなったんですね」と言ってもらえた。

最後は病気で亡くなってしまったけど、モカはもりもり食べて大きくなったのだ。

茶トラの猫は体格が良く、ボスになる子が多いと聞いたが、モカはとっても優しい子なのでボスにはなれないねとみんなで笑った。

 

最後に、頭蓋骨と喉仏を納めてくださいと言われた時、父が頭蓋骨に箸を伸ばした。

「いやいや!あんたが納ちゃいかんじゃろ!!」と母とわたしが止めた。

飼い主であり喪主はわたしなので、最後はきっちり納めさせてもらった。

 

お骨上げをして、今日の初七日までリビングで毎日家族に手を合わせてもらったモカ

兄も来た時に残念そうに手を合わせていた。

姪も隣の市に住んでるのに、この1週間は何度も来てくれた。

 

今日からはわたしの部屋で、当分居てもらう。

 

モカが息を引き取った場所は、モモタが息を引き取った場所と同じだった。

2匹ともわたしのベッドの上で旅立ったのだ。

その場所は、よく2匹が一緒に寝ていた場所なので

そこで仲良く寝てる写真がたくさんある。

きっと今もすやすやと一緒に寝ているんだろう。

 

モモタが亡くなった時も我が家の悲しみはすごかった。

でも、モカが居てくれたので心の支えになった。

今回、モカがいなくなり我が家に猫がいなくなったので

食器やフードなんかを少しずつ収めなければならなかった。

母は物が少ないのが好きなので、キッチンにある食器はわたしが早々に片付けた。

しかし2階にある、猫のトイレと爪研ぎをなかなか片付けられなくて

今朝「これも片付けんとね」と母に言ったら

「何でもかんでもすぐに片付けんで。モカがいた形跡全部無くさんで」と言ったので少し驚いた。母は元々動物が好きじゃない人だったからだ。

しかし、モモコ、モモタ、モカを飼ってから猫好きになったようだ。

 

病院の先生にはあの時もっと聞けば良かったとか、判断間違ったのでは?抜歯手術しなければ良かったんじゃ?腹水のこと聞いたのに!とか色々考えたことはあったけれど、モノを言わない動物相手で、体調悪くなった要因はひとつでは無いだろうし、血液検査や薬や医療食を無料でやってくれたりして良くしてもらったと思ってる。

 

モカともっと一緒にいれると最後まで思っていたけれど、それは叶わなかった。

もっと一緒にいたいから、間違った選択だけはしないように色々調べて自分なりに考えて行動したつもりだったけれど、結果モカを苦しめた判断だったと後悔もしてる。

でもきっと、どんな判断をしていても後悔はすると思う。

モカの容態が悪くなった1ヶ月間は、モカの陽気さや優しい性格が全く見られずとても寂しかった。この1ヶ月の辛そうなモカしか記憶に残る事がないように、1週間何万枚という写真の中からモモタとモカの写真や動画を見た。

8月以前のモカはどれも幸せそうで楽しそうだった。

最後の1ヶ月は辛かっただろうけど、後の16年と2ヶ月は本当に幸せに生きていたと思う。モカはどの猫よりも最高な日々を送ったと確信してる。

なにより、モカと一緒に過ごしたわたしや家族は幸せだった。

16年間一緒に過ごしてくれてありがとう。

吾輩はデブである。

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飼い猫もデブである。

どこでデブになったかたかとんと見当がつかぬ。

 

「デブは自己管理不足!」「デブは甘え!!」

わたしも嘗てはそう思っていた。

25歳までは、夕食を抜き寝れば2kgは簡単に落ちる

ランボルギーニ並みの高燃費な肉体。

それがいつのまにか、プリウスのように

低燃費な生ぬるい体になってしまったのである。

 

27歳頃に入ったある日、気がついたのだ。

「 おやおや?わたしって結構デブなんじゃない?」

 

早速、当時1回500円で近所のジムが使えたので行くことにした。

今思えば「デブ」と思っていた体型はそうでもなく

インボディ(体脂肪や水分量、骨密度など部位別に分かる測定器)の

結果を見ても「標準後期、軽肥満手前」であった。

 

エアロビなどが苦手なわたしは、筋トレ系のスタジオプログラムにはまり

3ヶ月もすれば体脂肪18%までになり、颯爽と脂肪とおさらばしたのである。

 

その後、ひとり暮らしを初め「ユニットバスじゃなく広いお風呂に入りたい!」

と街のジムに通ったりしていたのだが、実家に戻りジム通いもやめ、車生活に。

のほほんと暮らしていた30代には、2度ほど軽肥満クラスのデブとなったが

ちょっとした食事制限で元に戻ることができたのである。

 

そう、あの頃までは。。。

 

去年初老を迎え、フリーランス3年目となりほぼ自宅で仕事をするこの身は

着実に脂肪を抱え込み、人生MAXの体重とご対面した。

「ヤバイ!ヤバイ!」と思いつつプロティンダイエットしてみたり

酵素ジュースを試したりしても効果は薄く、諦め掛けていた矢先に

10日ほど入院することとなった。

 

入院生活の中、7日間の絶食期間があったにもかかわらず、

落ちた体重はたったの2kgだったのである。

嘗ては1食抜けば2kg減っていたというのに!

7日間も絶食して痩せた貴重な2kgすら4ヶ月もすれば元に戻り

日々是前進!とMAX体重を更新しているのである。

 

此れでは成らぬ!と一念発起し、またジム通いを考えた。

体験入会で測った10年ぶりのインボディ。

そこで出た体脂肪の表示に驚愕した。

 

体脂肪量 ☑️過多

体脂肪率 ☑️肥満

基礎代謝量 1,253kcal(わたしの年齢では1,300〜1,500が標準)

 

まさに、プリウス並みの低燃費肉体!エコ!eco!イーシーオォ!

1食500kcalだとしても、1日1,500kcal摂取なので

基礎代謝量が1,253kcalしかないわたしは着!実!に!

タイトなジーンズにねじ込むための脂肪を生成してしまうのだ。

嗚呼!!そんな!ねじ込む脂肪なんていらない!

ゴツめのパーカーをシャツインするくらいの余裕が欲しい!!

 

いささかショックを受けたわたしはジムと6ヶ月契約を結んだ。

6ヶ月後には脂肪に「南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏。さよなら。さよなら」と

念仏を唱えて送り出したい。